哲学者のフイェバクによると人間は生き続けたいと考えているけれど、いつか生命 は終わってしまうのでその考えの通りにはなりません。だから人間は天国を思いえ がいたのです。つまり天国は幻なのだそうです。たくさんの天国を信じている人達 がこういう話を聞くと腹を立てるかもしれません。

私の考えをお話すると、申し訳ありませんが、フォイェバクの考えには正しい部分 もあると思います。人間は不完全なものだという経験から天国、そして楽園、の考 えが生まれてきたと思うのです。

このようなフォイェバクの考え方と今日の福音のサドカイ派の人達の考え方は同様 で天国というものは幻だというものです。

でも違う点はサドカイの人達はイエス様の時代の裕福な生活の人達で、この世はも う天国だと思っているので死んだ後の天国のイメージを作ることができないのです 。たぶんイエス様がサドカイ派の人達に反対しているのはこの人達がただ天国を信 じていないという理由ではないでしょう。裕福な生活をしているから、サドカイ派 の人達が人間を解放する神を信じることができないのです。アブラハムとヤコブと イサックの神というのはイスラエル人たちを虐げられている状況から解放する神で す。この神の約束された天国が欲しいのなら、このような解放する神を信じなけれ ばならないのです。それだけではなく、サドカイ派の人達の生活の中でイスラエル の人達を解放する生き方をしなければならないのです。そして、社会的地位も彼ら としなければならないのです。これらを手離す事ができないから天国という考えも 受け入れられないのです。この世は天国だと思ってしまいますから。

いろいろな苦労、悲しみ、苦しみ、足りなさを感じる事によって、人間の心に天国 に行きたいという望みが生まれるほうが良いと思います。裕福だから、天国を受け 入れられないよりも。

皆さんはどちらがいいですか。