ある友達が五年間にフィリピンの解放のための運動に参加しました。政府に反対す る戦いの危険な状況に身を投じました.家族を後に残し。成績優秀で大学を卒業し てからの輝かしい将来も棒に振ったのです。

でも彼はある時に燃え尽きてしまった瞬間が来て。自分はいったい何をしているの だろうと思ったのでした。自分は運動をしている人たちに使われていただけだった のではないかと思ったのです。

私たちは人生の中で自分の生きてきた道をを評価する時が来るでしょう。それは元 気にあふれ生き生きしていて燃えている時には考えないでしょう。でも疲れた時、 あきらめようと考える時、人生を評価する気になるでしょう。

自分の価値は何なのか、今までやってきたことは何の意味があるのかどれほどの重 さがあるのか人生の重みが気になるでしょう。

自分は良い人だという基準がすばらしい活動に参加したからだと考えるならそれは 例えばその活動がうまくできなかったら自分によっての自分の大切さも低くなるで しょう。自分はただその活動に利用されだけなのかと思ってしまうでしょう。同じ ように尊敬されたから自分は価値があると思っていたら。その尊敬がなくなると自 分にとっての自分の価値がなくなるでしょう。

今日の福音自分の本当の大切さの基準を教えています。活動によって、回りの人た ちの評価によって自分の価値は分かるのではなくて。神に対する信頼がどのぐらい 成長したかによって自分の価値は分かるのです。どんなにすばらしい活動でも自分 がそのために利用されたと思えば腹が立つでしょう。でもどんなに大したものでは ない活動でも、神の意志に従いたいという気持ちから参加したら、自分の信仰の成 長には大きな実りに思うようになるのです。

最初に話した友達の話に戻ります。彼は一緒に活動をしていた人たちに利用された という疑いに疲れたのです。神様の僕として利用されたと思えば、どうかな,疲れ るかな。。。