今日の福音の話題は祈りについてです。私が祈りを説明するより一緒に祈る方が 良いと思いますから、三分ぐらい沈黙しましょう。この沈黙の中に四つのことを 考えましょう。

一つは何を神様に頼みたいですか。
そしてどういうふうにそれを実現したいですか。
そしてどうしてそれを願っているのですか。
そして最後にいつそれを得たいですか。

では沈黙しましょう。

この四つの中の最後の「いつ」ということが一番重要なことです。全ての質問は ここに されます。

いつ私たちの祈りに神様は答えてくれるのでしょう。

私の高等神学校の四年性の時に大変な事故がありました。新学期が始まる日学生 達は新入生を歓迎する遠足に行っていたのです。私は泳げないので浅い所で遊ん でいました。泳げる人たちは遠くまで泳いでいていました。突然皆が大き名声を 上げました。遠くで泳いでいた15人の人たちが海流に流されてしまって、小船 急いで助けに行きましたがそのうちの二人がとうとう見つかれませんでした。私 はその時海岸に学生たちを集めて一緒に祈りました。その二人を神様が助けて下 さるように。でも潜水夫が二人の遺体を運んできてくれました。二人は私の後輩 で、またおさない無邪気な少年でした。

その時から神に祈るときに信頼が薄くなり、神に対して疑いが生まれてきて神学 の先生方の教えに単純に納得することができなくなりました。そのおかげで私は 哲学と神学の勉強に真剣に取り組みました。

ある神学の勉強の中で天使のことが出てきました。それは納得しがたいことでし た。天使は子供のおとぎ話だと思っていました。何かその時にこの二人のなくな った後輩のことを思い出しました。私の人生の中に二人は静かな存在であった と。ある意味でこの事故の二人が神様の助けによって海面に浮んでくるという祈 りは別の形で答えが返ってきました。この二人は何かわからないけれど一度沈み かけた私の信仰の命を浮かび上がられるために、私に投げられた浮輪のようにい たのだと思えてきました。

いつ神様が私たちの願いに答えてくれるかを知るのは難しでしょう。すでに答え たから。しかし人間は何を望んでいるか本当の望みはわからないから神の答えに 気付かないのです。私たちが神様に祈るときそれはすでに答えが与えられている ときです。祈りは神様の意志を探すことなのですから。