「主イエス 自分自身を知り、あなたを知ることを あなたのほかに何も望まず 自分を憎み、あなたを愛することを 全てをあなたのために果たし 自分を卑しめ、あなたをあがめさせてください」

聖アウグスティヌスはこう祈りました。この祈りには自分は意味がなくなったように見えます。

イエス様のすばらしさの前では、自分は何と小さな存在なのでしょう。このすばらしさは何ですか。

どこに見えますか。どのように分かりますか。
イエス様は先週の福音で五千人もの人を満服にさせたからすばらしのか。
いろいろな病人を癒したからか、優しさがみちあふれているのか、
そして驚くような奇跡をなさったから力があふれているのか。斬新名教えを広めたから、
知恵があふれているのか。

これらの理由によりアウグスティヌスとほかの聖人達は自分を卑しめてイエス様に従ったのでしょうか。

もちろんそのすばらしさの影響もpありますが、今日の福音で、 イエス様の人を引き付ける力はそれらのすばらしさを超えるものです。

今日の福音ではイエス様がこのすばらしさを捨てることができる勇気が見えます。

イエス様は自分の苦しみを受け長老、祭司長、律法学者達から排斥されて殺されることが分かても、 自分の使命を全うする勇気が見えます。

聖アウグスティヌスはイエス様がいろいろとすばらしいことができるからついていたのではなくて、 イエス様は神様の道を歩むために御自身を卑しめるできた人だから従ったのです。