おとといのメールで大変迷惑をかけていました、ごめんなさい!

大学を卒業したばかりの時私は自分は「偉い」と思っていました。たくさん勉強もしましたし。たくさん知恵があると思い込 んでいました。それでミンダナオで貧しい人たちに教える琴にしました。この人たちは貧しくて、教育も低いので私が学んだ ことを一方的に教えようと思いました。

ミンダナオで生活している時に欲求不満を感じていました。私の言っていることを皆は聞いてくれない、とか、皆は私が大学 で勉強してことを理解できない、とか。皆はばか打とさえ思ってしまいました。

しかし、ある日一人の学歴のない青年と一緒に海に行きました。彼の名前はテインです。今までもそれを覚えていますがそこ は入り江です。たくさんの種類の魚や海草やヒトデなどとかいてタツノオトッゴも始めてみました。私はそれらの名前を次から 次へとテインさんに聞きました。テインさんは子供の時から海辺で育ったので良くそれらの名前を知っています。私はその時 初めて穴があったら入りたくなりました。テインさんに一目を置く気持ちが生まれました。私はこの人は何も知らないと始め は思っていましたから。

でもその時の何物にも替えがたい美しい海の景色の一つ一つの名前を彼はまるで友達のように知っていました。自分はとてもお ろかだと思いました。人間は皆おろかなところがあるでしょう。この世の全ての知恵を私たちの頭に入れることはできないで しょう。ある人は海のことは良く知ている、ある人は貧しい経験をした、ある人は飛行機のことは詳しい。だから私たちの 神に対する理解もいろいろです。神様の全てのことを一つの概念で表わすことができません。

自然のすばらしさを経験したことをある人たちは神様を創造主として感じ取ることができます。そして、苦難や圧迫から開放 されたい人は、神様を救い主として感じ取ることができます。そして、又知恵を求めている人で知恵は果て無いものだと分かっ た人たちは神を全知の精神として感じ取ることができます。

これらの神様に対してのいろいろな経験と理解があることには重要なメッセージがあります。それは互いに知恵を交換して分 け与えるべきだということです。学歴のない人から大学を卒業した人にも。