先週の日曜日から火曜日まで長野に行って来ました。田舎の方ではたくさんのフィリピン女性が日本の男性と結婚しています。 驚いたことに、険しい山奥にもたくさんのフィリピンの主婦が住んでいました。彼女たちは上手に長野弁を話していました。こ の女性たちの悩みは教会は遠いこと、義理の両親との問題、そして一番大き菜悩みは、御主人がキリスト教について知らないし 、興味もないことでした。この教会の遠さの問題ではある人は車で2時間かけて行っている人もいます。でもそれは自分の意志 で解決できる問題です。義理の両親との問題も長い間一緒に生活することで慣れてきたから、少しがまんすればすむことです。 しかし、しかし最後の御主人の問題については自分ではどうすることもできないようです。彼女たちは自分の夫がキリスチャン になってほしいと心から願っています。その問題に対して私も何もできないけど、皆に言いました。神様の時間に任せるしかな い、と。

今日の福音で、ペトロたちは最初何も取れませんでした。他の福音にも同じようなものがあったでしょ。ペトロがイエス様に「 魚はもうない」と言ったのに、イエス様がもう一度網を投げなさい」と強要したら、たくさん魚が取れてしまった話です。多分 私たちも、フィリピンの女性たちや、ペトロと同じように、信仰活動の実りがない時、悩みが生まれます。でも今日の福音と同 じように、本当にイエス様が私たちと共にいる、つまり、本当に復活したなら、確かに私たちも百五十三匹もの大きな魚取れる 。つまり実りが必ずあるということです。

長野の木曽福島から出る前にアニさんという一人のフィリピン人の奥さんが私に頼んだことがありました。それは彼女と一緒に 病院に行くことでした。病院に行くと、アニさんは、 死に近いおばさんのために、祈りを頼みました。私はこのおばさんはアニさんの夫のお母さんだと思っていたけど、実はただの近所 の人でした。アニさんはこのおばさんのためにもう半年も毎日洗濯したり食べさせたりしていたことが分かりました。病院にいた 先生や看護婦さんたちは、どうしてアニさんがこんなことをするのか理解できないそうです理解できないけど、確かに気高い行為 です。

今日の福音を読むとこう書いてあります。「私の羊を飼いなさい。」アニさんはこのおばさんに食べさせたことと、たくさんの 魚を収穫することと、キリスチャンではない人にイエス様の教えを分かってもらうことと、イエス様を愛することは皆同じこと なのではないかと私は思います。