ある時子供が大理石を彫っている人に出会いました。子供が見ているとその人は みごとな鳥を彫り上げました。そこで子供は畏敬の念をもってその人にたずねま した「どうして石から鳥が現れるのを知っていたの?」するとその人はこう答え たのです「私の心の中にこの鳥の姿がすでにあったのだから。」と。

人間は神秘的なものです。神秘的というのは二つの意味があります。一つは理解 しがたいという意味。そしてもう一つは全ての要素は少しずつ現れて来るという ことです。たとえば何年間も友達として付き合っていても、ある日この人の持っ ている深い優しさに気付くこともあるでしょうその瞬間に本当に自分の目に与え た友達の姿が恵みのように思えるでしょう。彼がそのことを隠していたのではな くてそれまで自分の方にそのことに気付く心がなかったのです。その瞬間に自分 の心も解き放されたのです。心が自由になるのは有益なことですからこういう瞬 間を保ち続きたい、この瞬間にとどまりたいと思います。「仮小屋を三つ建てま しょう」とペトロは言いました。彼はそこにとどまりたいと思ったからです。

三人の弟子たちもイエス様と長い間一緒に生活していましたが。その時になって 初めてイエス様のすばらしい栄光を見たのです。 その栄光は何の意味でしょう か。私も分かりません。学者達はいろいろな説明をしていますが、多分この栄光 の本当の意味はただこの三人の弟子たちだけが知ることです。何となく三人の心 の中にイエス様の姿を見たのです。いつか私たちの心にも現れるでしょう。すで にいるからです。