木曜日、教会の三人姉妹そしてミサにあずかろうとしてきた青年とガールスカウ トの女の子一人そして私全部で六人でかまくらを作りました。三人三人の姉妹は 2年半前に初めてあった時からずいぶん成長したなあと思いました。この子供達 の信仰の成長のために、教会は何ができるだろうかと考えましたそのように考え はじめましたがあまり大したことはできないとあきらめました。そのためにとて もいい言い訳が私の頭に浮かびました。経済の伸び、化学の進歩、技術の発展、 子供の成長などなど社会のあらゆる成長がどんどん進みられが喜ばしいこととさ れています。その逆にの停滞化学技術の停滞は喜ばしくないもの、それから、自 然の前にじっと立ちすくんだり、休んだりすることは喜ばしくないと思われてい ます。

皆も子供も含めて進歩や成長のために落着かない生活をしている。だから成長の ことは少し考えなくても飯野ではないか。。。という言い訳です。深く考えたら いい言い訳でしょ。 現代のいろいろな社会問題や環境問題の原因は人々が落着 かないで成長の競争をしているからではないでしょうか。神様の力と時間に任せ る方がいいでしょう。

でも今日の福音ではマリア様は反対の態度をとりましたイエス様の時間が来てい ないのに何かを頼みました。今日の福音で興味深いことはどうしたイエス様がマ リア様に従ったのか? 多分喜びのためだからでしょう。イエス様が人間の時間 に従うのかも知れません。今日の福音の締めくくりは喜びです。喜びがあったか ら信仰の成長があったのです。

じゃあ。。。ちょっと質問があります。社会問題と環境問題はどうなりますか。 神様が人間の経済の発展や化学技術の進歩に従わなければならないでしょうかも しこの進歩が人間の喜びのため、信仰の成長のためでないなら、神様は従わない でしょう。

一方子供達の成長が喜びのため信仰の成長のためだったら、イエス様がマリア様 のすすめに従ったように、神様は両親の時間に従ってくださるでしょう。