子供と話している時の私の大好き菜質問は「将来何になりたいですか」というものです。答えはいろいろありますありますが皆 はこういう仕事を良いと思っているからそうなりたいと思うのですね。両親も子供のためにいい将来を望んでいるでしょ。それ で子供を一生懸命後押しをしていますね。子供の可能性を実現したいのです。

若さと希望を結び付けて考えています。そうならば絶望はすでに成長したと考えられるのではないかと私は思います。年をとる といろんなことを経験するに連れて若い時に大きな希望はだんだん失せてきます。失敗したり、不合格になったり、失恋、離婚 とか、裏切りにあったり、倒産したり失業したり、いろいろなものに幻滅するなどを経験したら、輝かしい未来は見えなくなる でしょう。自信と勇気を弱くなるでしょう。

それらを経験して、分別のある人間になるkともあります。その結果若い頃に抱いた希望は無分別なものだったとき付くことも あるのです。

初期のキリスチャン達も神様にすぐに救われる、つまりこの世は変わるという大きな希望が潰えたのです。でもその経験の中で 一つのことが残りました。それはイエス様が話して下さったことやなさったを信頼することです。イエス様の教えは初期のクリ シチャン達の生きていた時代には意味があるのですだということを認めました。教会は、イエス様のように、弱い人達のために 役に立てば期待した世の中の大きな変化が実現したくても教会の意味はなくなりません。

じゃ子供達何になりたいのですか。
何になるべきでしょうか。
それは教会では教えません。でも夢を実現しようとする時失敗があっても自信と勇気を持つということを教会は教えます。あな たたちはこの世界にいるということは神様の目で大切なことなのです。 何の失敗があっても。